那覇地方裁判所 昭和62年(わ)346号 判決 1993年3月23日
主文
被告人を懲役一年に処する。
この裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。
訴訟費用中、証人根原正明に支給した分のうち第四回及び第六回公判分の各五分の一並びにその余の証人に支給した分は被告人の負担とする。
理由
(犯行に至る経緯)
第四二回国民体育大会夏・秋季大会(以下「沖縄国体」という。)は、昭和五九年七月四日、財団法人日本体育協会(以下「日体協」という。)、文部省及び沖縄県が主催して昭和六二年に沖縄県で開催されることになり、このうちのソフトボール競技は、読谷村、恩納村、嘉手納町及び北谷町の四町村で、右主催者のほか各競技の会場地の町村も加わって主催し、財団法人日本ソフトボール協会(以下「日ソ協」という。)が主管して実施されることになった。読谷村では、少年男子ソフトボール競技会(以下「本件競技会」という。)が開催されることになり、これを運営するため、昭和五九年七月二〇日、読谷村が中心になって第四二回国民体育大会読谷村実行委員会(以下「読谷村実行委員会」という。)を設立し、読谷村長山内徳信(以下「山内村長」という。)がその会長となった。
沖縄国体の各競技会の開会式については、沖縄国体の主催者が定めた実施要項とこれにより準拠することとされた国民体育大会開催基準要項等に基づき、沖縄県実行委員会が昭和六一年一月に各競技会の開始式等の実施要項を定め、その中で開始式等は会場地市町村実行委員会が当該競技団体と協議の上実施し、開始式においては日の丸旗を国旗として掲揚すべきものとした。これを受けて、読谷村実行委員会では、日ソ協等と協議の上開始式等の実施要領を定め、その運営に当たることとなった。
ところで、日ソ協会長の弘瀬勝(以下「弘瀬会長」という。)は、それまでの国体ではその開会式のほか、各競技会の開始式においても日の丸旗を国旗として掲揚するのが慣行となっていたことから、沖縄国体のソフトボール競技の開始式においても日の丸旗を国旗として掲揚すべきであると考えていたが、昭和六一年七月ころに沖縄国体のリハーサルとして行われたソフトボール大会後のパーティーの席で、日の丸旗の掲揚等について沖縄県民の間に反対があり、特に読谷村において反対が強く、問題が起こるかも知れないとの説明を受けたことから、山内村長に対して、本件競技会の開始式で日の丸旗の掲揚等が慣行どおり行えるかどうか感触を探ってみた。これに対し、山内村長が「いろいろ難しい問題もあるが、国体をやる以上、最大限努力します。大丈夫だと思います。」などと言ったことから、弘瀬会長は、本件競技会の開始式でも日の丸旗の掲揚等を慣行どおりできるだろうと思ったが、さらに山内会長に対して、そのことについて問題が起こった場合には連絡してほしい旨話した。
一方、山内会長は、右時点においては、本件競技会を読谷村で開催するためにその開始式で日の丸旗の掲揚等をすることもやむを得ないと考えていたが、同年一二月に読谷村議会において「日の丸掲揚、君が代斉唱の押しつけに反対する要請決議」が採択されたり、そのころ読谷村内において日の丸旗掲揚や君が代斉唱の強制に反対する旨の署名が村民の三割近い八〇〇〇名余りから集められたりするなどし、また、昭和六二年三月には山内村長自身が学校の卒業式、入学式等への日の丸旗掲揚や君が代斉唱の強制は遺憾である旨の村長としての施政方針演説を行うなどしていく中で、次第に日の丸旗の掲揚等をせずに本件競技会の開始式を行いたいと考えるようになった。しかしながら、他方では右意向を日ソ協に伝えて協議しても受け入れられないだろうと考え、直接弘瀬会長に伝える等の措置を講じなかった。このように判断に迷ったまま、本件競技会の開催日が迫り、山内村長は、ようやく日ソ協の下部団体である沖縄県ソフトボール協会の理事長に日の丸旗の掲揚等をせずに本件競技会の開始式を行う方針を伝えた。
本件競技会は昭和六二年一〇月二六日から二九日までの日程で開催されることになっていたが、間近になって右方針を知った弘瀬会長は、今更上部団体である日体協の意向に反して日の丸旗の掲揚等をせずに開始式を行うことはできず、早急に結論を出す必要があったことから、強硬な施政で翻意を促そうと考え、同月二二日、山内村長に対し、電話で、日の丸旗を掲揚しなければ会場変更もあり得る旨を伝えた。そこで読谷村実行委員会で協議を重ね、翌二三日には、君が代の斉唱はせず、日の丸旗は掲揚するとの結論が出され、弘瀬会長もこれを了承した。そして、翌二四日に読谷村役場の村長室においてマスコミや関係者に対して日の丸旗を掲揚することで話合いがついたことが公表された。
被告人は戦後読谷村で生まれ育ち、地元でスーパーマーケットを経営するなどして妻子とともに居住している者であるが、第二次世界大戦中の沖縄戦において、同村にあるチビチリガマ(洞窟)で起こった住民の集団自決について調査を進めていく中で、日の丸旗は国民を戦争に動員するのに利用された旗であり、国旗としてふさわしくなく、国旗ではないと考えるようになった。このような考えから、沖縄国体における日の丸旗の掲揚にも反対であったところ、弘瀬会長からの強硬な申入れの結果、本件競技会の開始式において日の丸旗が掲揚されることになったことを知り、弘瀬会長によって日の丸旗の掲揚が押し付けられたものと思い、これまで読谷村民が一体となって本件競技会を成功させるべく努力してきたにもかかわらず、同村民の意思を踏みにじるものであるから、日の丸旗の掲揚を放置できないとの気持ちになり、同月二五日には、翌日の開始式で仲間とともに日の丸旗反対を表現する横断幕を掲げるとともに、日の丸旗が掲揚されれば、単独でこれを引き降ろそうと考えるに至った。
(罪となるべき事実)
被告人は、昭和六二年一〇月二六日、沖縄県<番地略>所在の読谷平和の森球場において本件競技会の開始式の様子を見守っていたところ、同球場外野スタンドに建てられた鉄筋コンクリート造りの諸旗掲揚台兼スコアボード(以下「本件スコアボード」という。)の諸旗掲揚台に設置されたセンターポールに国旗として日の丸旗が掲揚されたのを見て、右日の丸旗を引き降ろすとともにその再掲揚を妨げるために燃やしてしまおうと決意し、また、右行為によって本件競技会の業務を妨害することになってもやむを得ないと考え、同日午前九時一七分ころ、読谷村村長兼読谷村実行委員会会長山内徳信が係員にスコアボード操作室等への出入口戸を施錠させるなどして看守する本件スコアボードの南西側壁面の花ブロックをよじ登ってその屋上に故なく侵入し、センターポールに取り付けられた読谷村所有のロープをあらかじめ準備したカッターナイフで切断した上、同ポールに国旗として掲揚されている読谷村実行委員会所有の日の丸旗一枚(縦約1.3メートル)を引き降ろし、これに所携のライターで火をつけ、これを右球場にいる人々に掲げて見せた後、その場に投げ捨て、その半分程を焼失させ、日体協、文部省、沖縄県及び読谷村が主催し、日ソ協が主管し、読谷村実行委員会が運営する本件競技会の運営を混乱させ、その競技の開始を約一五分間遅延させるなどし、もって他人所有の器物を損壊するとともに、威力を用いて本件競技会の業務を妨害したものである。
(証拠の標目)<省略>
(弁護人の主張に対する判断)
第一公訴棄却の申立について
一公訴権濫用の主張について
弁護人は、「器物損壊罪については、わずか三五〇〇円の日の丸旗を焼燬したにすぎず、仮に犯罪の嫌疑が認められる場合であっても軽微事件として起訴猶予処分が相当であるのに、あえて訴追した本件起訴は平等原則に違反するものである。また、器物損壊の方法、手段たる行為を建造物侵入罪として、その影響、結果たる現象を威力業務妨害罪としてそれぞれ訴追しているが、これらにつき犯罪の嫌疑があるとしても、建造物侵入罪は外壁を、しかも公然と登っただけであり、その法益侵害の程度は小さく、威力業務妨害罪も妨害された業務の内容、程度が漠として明確化し得ない程度の法益侵害でしかないところ、これらは日の丸旗焼燬を器物損壊罪に問擬するに付随して起訴されたことは明らかであるから、建造物侵入罪及び威力業務妨害罪に対する起訴も平等原則に違反するものである。」として、本件公訴提起は憲法一四条に違反した公訴権の濫用であるから無効であり、公訴棄却すべきである旨主張する。
検討するに、確かに検察官の裁量権の逸脱が公訴提起を無効ならしめる場合のあり得ることは否定できないが、現行法制の下では公訴提起をするか否かについて検察官に広範な裁量権が与えられていることに照らし考えると、公訴提起が無効とされるのは公訴提起自体が職務犯罪を構成するような極限的な場合に限られるべきであるところ、前記認定の事実関係に徴すると、本件公訴提起が無効とされるような極限的な場合に当たるとはいえないから、右主張は理由がない。
二訴因不特定の主張について
弁護人は、「起訴状記載の公訴事実には、器物損壊罪の対象たる器物に関し『国旗』と記載しているが、わが国に国旗が存在するか否か、また、いかなる旗が国旗であるのか法制化されておらず確定していない以上、『国旗』という記載は意味不明である。また、威力業務妨害罪の対象たる業務につき競技会のいかなる業務を妨害したのかが明確にされていない。」として、本件公訴提起は訴因が不特定であるから無効であり、公訴棄却すべきである旨主張する。
まず、器物損壊罪の訴因について見るに、第一回公判において、検察官は「国旗とは日の丸旗である。」旨釈明しているところ、日の丸旗を「国旗」と記載していることが訴因の特定、明示に欠けることになるかについて検討する。
国旗という用語は、法律等により国家を象徴する旗として用いるべきものと定められた旗をいう場合もあるが、この場合に限らず、事実上国民の多数により国家を象徴する旗として認識され、用いられている旗をいう場合もある。
現行法制上、日の丸旗をもってわが国の国旗とする旨の一般的な規定が存しないことは弁護人が指摘するとおりである。しかし、船舶法等では、一定の船舶に国旗を掲揚すべきことなどが定められており、その場合に国旗として用いるべき旗については商船規則(明治三年一月二七日太政官布告第五七号)に基づき、あるいは当然の前提として日の丸旗を指していると解される。このように日の丸旗は、国際関係においては、他国と識別するために法律等により国旗として用いるべきことが定められているといえるが、他方、国内関係において国民統合の象徴として用いる場合の国旗については何らの法律も存せず、国民一般に何らの行為も義務づけていない。しかし、現在、国民からの日の丸旗以外に国旗として扱われているものはなく、また多数の国民が日の丸旗を国旗として認識して用いているから、検察官が公訴事実において器物損壊罪の対象物として記載した「国旗」とは「日の丸旗」を指すと理解でき、訴因の特定、明示に欠けるところはない。
次に、威力業務妨害罪の訴因について見るに、公訴事実においては「右ソフトボール競技会の運営を混乱させ、もって(中略)右財団法人日本体育協会等の主催する競技会の業務を妨害したものである。」と記載されているが、いかなる業務を妨害したかをより具体的に特定、明示しなければならないかが問題となる。
そこで、威力業務妨害罪の構成要件について検討すると、この罪が成立するには現実に業務妨害の結果が発生したことを要せず、その結果を発生させるおそれのある行為をすれば足りると解される。したがって、訴因として現実に発生した業務妨害の結果を特定、明示することは必要でなく、妨害行為の対象とされた業務を特定、明示すれば足りるところ、公訴事実に記載された妨害行為の態様に徴すると、犯行場所で行われていたソフトボール競技会の業務全体が妨害行為の対象とされていたもので、個別的な業務がその対象とされていなかったことが認められる上、公訴事実中の犯行日時や犯行時には本件競技会の開始式が挙行中であったことの記載をも総合して判断すると、妨害行為の対象とされた業務が、本件競技会の開始式及びこれに引き続く競技全体であることは明らかであり、訴因の特定、明示に欠けるところはない。
したがって、訴因の不特定を理由とする公訴棄却の申立はいずれも理由がない。
三告訴欠如の主張について
弁護人は、「告訴状及び告訴調書のいずれも日の丸の旗を燃やしたとあり、国旗を燃やしたとは記載されていないのであるから、検察官が国旗を損壊したとして起訴したことは告訴のない事実について公訴提起したことになる。」として、親告罪である器物損壊罪についての本件公訴提起は訴訟条件が欠けているから無効であり、公訴棄却すべきである旨主張する。
しかし、検察官が公訴事実において「国旗」と記載したものが日の丸旗を指すと理解できることは先に説示したとおりであって、本件器物損壊罪の告訴に欠けるところはないから、右主張は理由がない。
第二構成要件に関する主張について
一威力業務妨害罪の成否について
弁護人は、「威力業務妨害罪について、被告人の行為は人の意思を制圧するようなものとはいえないから威力に該当しない。また、被告人の行為によって業務妨害が現実に引き起こされたことはなく、その具体的危険も発生しなかったのであるから、被告人の行為は業務妨害にも当たらない。さらに被告人には、国体そのものを妨害する意図がなかったから、故意がなかった。」旨主張する。
まず、被告人の行為が威力に当たるか否かについて検討するに、「威力」とは、人の意思を制圧するような勢力をいうところ、被告人が本件スコアボード屋上でセンターポールに取り付けられたロープをカッターナイフで切断した上、そのポールに国旗として掲揚されている日の丸旗一枚を引き降ろし、これにライターで火をつけ、これを球場内にいる人々に掲げて見せるなどし、その半分程を焼失させたことは前記認定のとおりであるが、被告人の右行為は、本件競技会に携わる者に異常な事態としてその対応を迫るものであり、また、その場で日の丸旗を直ちに再掲揚することを物理的に不可能にするものでもあって、これが本件競技会に携わる者の意思を制圧するに足りる勢力であることは明らかである。
次に、業務妨害の結果発生の有無の点についても、前記第一の二で説示したとおり、威力業務妨害罪が成立するには、現実に業務妨害の結果が発生したことを要せず、その結果を発生させるおそれのある行為をすれば足りるところ、本件妨害行為は、本件競技会に携わる者に異常な事態としてその対応を迫り、それぞれの役割分担により現実に行っている業務やそのような事態が起こらなければ行ったであろう業務に支障をきたすおそれのあるものであるから、業務妨害の結果が発生したかどうかにかかわらず、威力業務妨害罪が成立することは明らかである。しかも、前掲関係各証拠によれば、本件競技会の運営に当たる読谷村実行委員会と主管者である日ソ協との間の合意に基づき本件競技会の開始式に本件スコアボードのセンターポールに掲揚された日の丸旗が被告人によって引き降ろされて焼き捨てられたため、本件競技会の開始式の最中であったにもかかわらず、その運営に当たっていた読谷村実行委員会の役員が事態を把握するため本件スコアボード付近まで行くなどし、また、読谷村実行委員会の係員が再掲揚する日の丸旗を読谷村役場まで取りに行って、これを右スコアボードのセンターポールに掲揚するなどし、さらに、弘瀬会長の指示で日の丸旗が再掲揚されるまでの間本件競技会の競技の開始が見合わされ、その開始が約一五分間遅延したことが認められ、これらの事態と被告人の本件妨害行為との間に因果関係があり、業務妨害の結果も発生しているといえる。
さらに、故意の有無の点についても、前記認定のとおり、被告人は、本件競技会の開始式の前日までに、弘瀬会長の申入れにより本件競技会の開始式において日の丸旗が掲揚されることになったことを知りながら、本件競技会の開始式の挙行中に、掲揚された日の丸旗を引き降ろした上、日の丸旗の再掲揚を妨げるためにこれを焼き捨てたものであるが、右事実関係に照らすと、被告人は、本件競技会の運営に携わる者が日の丸旗を再掲揚しようとするなど、被告人の本件妨害行為に対応する行為をし、そのために本件競技会の開始式やそれに引き続く競技に何らかの混乱を与えるであろうことは当然認識していたものと推認される。その上、被告人は、当公判廷において、「私はプログラムを見ていたが、もし中央に日の丸が掲揚された時にはどうしようかということで、降ろしたり、いろいろ抗議をしようと決めていました。それをプログラムのどの時期にやるかと考えていました。それは国体の開始宣言がプログラムにあるのでそれを終えてからそれをしよう。なぜなら、開始宣言をしないうちに抗議行動をすると、開始式ができないのではないか、いわゆる開始式がつぶれるのではないかと思い…。」と供述し、また、日の丸旗を焼かなければならない理由というのは、すぐに再掲揚されないために焼いたのかとの質問に対し、「はい。それもあります。」と供述しているが、このことをも考え併せると、被告人は、積極的に本件競技会の開始式やそれに引き続く競技を妨害しようという意欲まで有していたとは認められないものの、本件妨害行為によって本件競技会の業務を妨害することになってもやむを得ないと考えていたことは明らかであり、被告人には威力業務妨害罪の故意が認められる。
したがって、威力業務妨害罪の構成要件には該当しないとの主張は理由がない。
二建造物侵入罪の成否について
弁護人は、「被告人が侵入したとされる所はスコアボードの屋根に当たる部分であり、建造物の内部ではないところ、右スコアボードは開かれた競技会施設に附属するものであり、しかもその侵入態様は、当初会場の客も気付かなかったほどであり、私生活の平穏を定型的に害する行為とはいえないから、本件のような場合、屋根はいまだ建造物侵入罪が保護しようとする建造物の一部には該当しない。また、被告人は日の丸旗の焼燬は正当行為であると認識しており、その正当行為の実現のために日の丸旗に近づくのであるから、被告人には管理者の意思に反して故なく侵入するとの認識は全くなかった。」旨主張する。
まず、本件スコアボードの屋上が建造物侵入罪における「建造物」の一部に当たるか否かについて検討すると、前掲実況見分調書によれば、本件スコアボードが建造物に当たることは明らかであるところ、建造物の屋上部分についても、同所へ立ち入られることによって建造物自体の利用の平穏が害され、又は脅かされることから、本件スコアボードの屋上も建造物侵入罪の「建造物」の一部として保護すべきである。
次に、故意の有無の点についても、前掲関係各証拠によれば、本件スコアボードの屋上に立ち入るための設備は本件スコアボードの内部及び外部のいずれにも設置されていないこと、本件スコアボード一階の出入口の鉄製格子戸には施錠がされていたため、被告人は、日の丸旗を引き降ろして焼き捨てる目的で、本件スコアボード南西側壁面の花ブロックをよじ登って本件スコアボード屋上に侵入したことが認められ、右事実関係に照らすと、被告人は、本件スコアボードの屋上に立ち入る行為が本件スコアボードの管理権者の意思に反するものであると認識していたと推認され、被告人には建造物侵入罪の故意が認められる。
なお、本件器物損壊行為について正当行為等の違法性阻却事由が存しないことは後記のとおりであるが、仮に被告人が日の丸旗を焼き捨てる行為やそのために本件スコアボードへ侵入する行為が違法でないと考えていたとしても、本件全証拠によっても、これが構成要件や違法性阻却事由に該当する事実の錯誤によるものではないと認められるから、これにより建造物侵入罪の成立が妨げられることはない。
したがって、建造物侵入罪の構成要件には該当しないとの主張は理由がない。
第三違法性阻却に関する主張について
一可罰的違法性の不存在について
弁護人は、「被告人が毀損した日の丸旗及びロープは客観的にも主観的にも無価値に等しい物であり、また、威力業務妨害や建造物侵入については法益侵害があったとしてもその程度は極めて軽微であり、いずれも可罰的違法性がない。」旨主張する。
まず、器物損壊の点について検討すると、同罪における「物」とは財物、すなわち保護に値する価値を有する物をいうが、本件の客体である日の丸旗及びロープは前記認定のとおりいずれもその本来の効用に従って現に使用されていたものであるから、保護に値する価値を有するものであり、これらを損壊した行為は器物損壊罪に該当し、実質的にも違法性があるといえる。
次に、威力業務妨害及び建造物侵入の点についても、それぞれの犯行態様やその結果は前記認定のとおりであって、法益侵害の程度が極めて軽微であるとはいえず、その主張は前提を欠き失当である。
右各主張はいずれも理由がない。
二正当防衛等について
弁護人は、「弘瀬会長による日の丸旗の強制により、読谷村、村民、競技会開始式参加者及び被告人の思想・良心の自由、同村及び村民の意思決定の自由(地方自治)並びに同村、村民及び被告人の『日の丸のない国体』を行おうという表現の自由が不正に侵害されたものであるから、これに対してなされた被告人の器物損壊行為は正当防衛あるいは自救行為として違法性が阻却される。威力業務妨害行為及び建造物侵入行為は緊急避難あるいは自救行為として違法性が阻却される。」旨主張する。
しかし、前記のとおり、国内関係において国民統合の象徴として用いる場合の国旗については何ら法律が存せず、国民一般に何らの行為も義務づけておらず、日の丸旗をこの意味での国旗として用いるかどうか、いかなる場合に掲揚するかは国民各自の自由な意思に委ねられているのであるから、本件競技会の開始式において日の丸旗を国旗として掲揚するかどうかもその主催者らの意思によって決定すべき事柄であるといえる。この意思決定過程を見ると、前記認定のとおり、沖縄国体の主催者らにより、本件競技会の開始式については、読谷村実行委員会が主管者である日ソ協と協議の上実施するものと定められていたところ、本件競技会の開始式の間近になって、読谷村実行委員会としては日の丸旗を国旗として掲揚しない方針であることを知った日ソ協の弘瀬会長が上部団体である日体協の意向を受けて日の丸旗を国旗として掲揚しなければ会場の変更もあり得ると言って強硬な姿勢でこれを行うように申し入れ、読谷村実行委員会で協議を重ね、本件競技会の開始式において日の丸旗を掲揚することになり、読谷村実行委員会と日ソ協の協議が整ったのである。確かに、右協議が整う過程で弘瀬会長の発言には穏当を欠く点もあったが、これは、読谷村実行委員会が適切な時期に方針を確定し、必要に応じて日ソ協との協議に及ばなかったことが一因となっており、前記認定の経緯からすると、このような発言があったことから読谷村実行委員会の意思決定の自由を不当に奪ったということはできず、結局、主催者らの意思決定に基づき、本件競技会の開始式において日の丸旗が国旗として掲揚されることになったものである。したがって、右のような経緯を経て行われた日の丸旗の掲揚が、不正の侵害であるとか現在の危難に当たるとは認められず、右主張は理由がない。
三正当行為について
弁護人は、「器物損壊行為は、防衛行為、表現行為及び抵抗行為であり、手段の相当性、法益権衡、必要性及び緊急性もあるので、また、威力業務妨害行為及び建造物侵入行為は、法益侵害の軽微性、目的の正当性、手段の相当性、必要性及び緊急性があるので、いずれも正当行為として違法性が阻却される。」旨主張する。
被告人が、日の丸旗は国旗としてふさわしくなく、国旗ではないと考えるようになった所以及び右思想に基づいて本件犯行に及んだものであることは前記認定のとおりであるが、前掲関係各証拠によると、読谷村民の中には被告人と同様の思想を有する者が少なからずいたことが認められるものの、民主主義社会においては、自己の主張の実現は言論による討論や説得などの平和的手段によって行われるべきものであって、たとえ本件競技会における日の丸旗の掲揚に反対であったとしても、その主張を実現するために、前記認定のような被告人の実力行使は手段において相当なものとはいい難く、これが正当行為であるといえないから、右主張には理由がない。
(法令の適用)
被告人の判示所為のうち、建造物侵入の点は、行為時においては平成三年法律第三一号による改正前の刑法一三〇条前段、同罰金等臨時措置法三条一項一号に、裁判時においては右改正後の刑法一三〇条前段に、器物損壊の点は包括して、行為時においては右改正前の刑法二六一条、同罰金等臨時措置法三条一項一号に、裁判時においては右改正後の刑法二六一条に、威力業務妨害の点は、行為時においては右改正前の刑法二三四条、二三三条、同罰金等臨時措置法三条一項一号に、裁判時においては右改正後の刑法二三四条、二三三条にそれぞれ該当するが、右はいずれも犯罪後の法令により刑の変更があったときにあたるから同法六条、一〇条によりそれぞれ軽い行為時法の刑によることとし、右の器物損壊と威力業務妨害とは一個の行為で二個の罪名に触れる場合であり、建造物侵入と器物損壊及び威力業務妨害との間にはそれぞれ手段結果の関係があるので、同法五四条一項前段、後段、一〇条により結局以上を一罪として犯情の最も重い器物損壊罪の刑で処断することとし、所定刑中懲役刑を選択し、その所定刑期の範囲内で被告人を懲役一年に処し、情状により同法二五条一項を適用してこの裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予し、訴訟費用については、刑訴法一八一条一項本文により証人根原正明に支給した分のうち第四回及び第六回公判分の各五分の一並びにその余の証人に支給した分を被告人に負担させることとする。
(量刑の理由)
本件は、沖縄国体における少年男子ソフトボール競技会の開始式で日の丸旗を掲揚することが強制されたと考えた被告人が、スコアボードの屋上に侵入し、センターポールに取り付けられたロープを切断した上、日の丸旗を引き降ろして焼き捨てるなどし、本件競技会の業務を妨害したという事案であるが、主催者である日体協の意向を受けた弘瀬会長から、競技会の開始式で日の丸旗を掲揚するよう強い申入れがあったにせよ、最終的には競技会の運営に当たる読谷村実行委員会内で話し合い、日の丸旗の掲揚が決定されたものであるにもかかわらず、それが自己の信条にそぐわないからということで実力をもって日の丸旗を焼き捨てるため本件犯行に及んだものであって、民主主義社会においては決して容認し難い逸脱した行為といわざるを得ない。しかも、被告人の右行為により、読谷村民らが手作り国体として協力して成功させようと準備してきた競技会の業務を妨害する結果が発生していること、被告人には反省の態度も見受けられないことなどをも考慮すると、被告人の刑責は軽視することができないというべきである。
しかし、他方、競技会の運営に当たる読谷村実行委員会の会長である山内村長が、主催者である日体協や沖縄県の意向を受けて、開始式で日の丸旗を掲揚するかどうかの判断に迷い、その開催間近になってようやく、読谷村実行委員会としては開始式で日の丸旗を掲揚しない意向であることがその運営に関して協議すべきこととされていた日ソ協に伝えられ、その対応に苦慮した日ソ協の弘瀬会長が読谷村実行委員会に対して日の丸旗を掲揚させたという経緯により、本来なされるべき協議が十分なされなかったことが被告人の本件犯行を誘発させたことも否定できないこと、読谷村で生まれ育った被告人が、同村における沖縄戦の歴史、とりわけチビチリガマの集団自決の調査等をとおして日の丸旗に対して否定的な感情を有するに至ったこと自体は理解し得ないわけではないこと、損壊した物は比較的安価であり、業務妨害の結果も比較的小さいこと、被告人は長年正業に従事するとともに、読谷村商工会の役員をつとめるなど同村の発展に協力してきた者であることなど被告人のために酌むべき事情も認められるので、これらの事情をも併せ考慮した上、主文掲記のように刑の量定をした。
よって、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官宮城京一 裁判官秋葉康弘 裁判官田中健治)